【未解決事件】東電OL殺人事件の謎ー冤罪と被害女性の行動の意図とは?
昼の姿は一流企業の幹部社員、夜の姿は売春婦
冤罪で世間を騒がせた東電OL殺人事件。被害者女性は何を考えこのような事件に巻き込まれてしまったのか、そしてこの事件に隠された社会の闇をお話しします。
東京電力の幹部社員だった女性当時39歳はエリートとして素晴らしいキャリアを持っていながら裏の顔を持っていました。
それは、夜の街での売春でした。なぜ、彼女は立ちんぼとして夜の街で複数の男と共に夜を過ごさなければいけなかったのでしょうか。
彼女と寝た男の1人に、事件現場となったアパートの隣のビルに住んでいたネパール人の男がいました。このネパール人男性こそが、第二の被害者にして、様々な憶測を産んだ存在でもあるのです。
この事件が起きたのは1997年3月9日、渋谷区円山(まるやま)町にあるアパートで何者かによって首を絞められ殺害されました。発見されたのはこの10日後、このアパートの主から管理を任されていた人物にしてネパール料理店の店長がこの空き部屋になっているはずの部屋に女性が横たわってる姿を不審に思い通報。捜査が開始され、入管難民法違反で不法に日本に残留していたネパール人4人を発見。彼らは事件現場の隣のビルに住んでいて、その中の1人はこの被害者女性と性交渉を行なっていることが、現場のDNA検証で発覚。1997年5月20日に強盗殺人の容疑で逮捕されました。しかし、このネパール人男性は一貫して無罪を主張。
たしかに現場からは別の男性のDNAも発見されたことから、確実に犯人だと言える証拠も不十分だったため最終的に2012年無罪を勝ち取ることとなります。しかし、被害者女性の手帳に亡くなる直前最後に彼と会ったことを記していることや、面識がなかったという発言が数ヶ月後に一変複数回にわたり性交渉をした事実があることを認めるなど不可解な点も多く捜査関係者はこの男を犯人だと強く確信し捜査していたようです。
彼女が背負っていたもの
この被害者女性はコンビニで低カロリーのものを好んで購入していたこと、そしてその容姿もかなり華奢な身体付きだったことから摂食障害を患っていた可能性が高いと言われています。
合わせて、エリート会社員だったので金銭的には余裕があったにも関わらず複数男性との関係を築き続けたことも依存症の傾向があり、現在で言うところの、強迫的性行動症のような症状に陥っていたことが考えられます。
これらの摂食障害や依存傾向の背景要因の多くはストレスや不安があると思います。
ストレスに対する不適切な解消法としての性的な関係性を築き、そしてその性的な関係性を維持するために容姿を美しく保つため自分に厳しく食事を過度に制限し拒食傾向が高まっていく。彼女は悪循環の中にいたのではないでしょうか。
もしも、適切な形でストレスを発散し、仕事や私生活が充実していたら、このような事件には巻き込まれなかったのではないでしょうか
おわりに
不適切な性的関係に依存し、ストレスを解消する一種の自傷行為に及んでいる人は読者の方の中にも意外と多くいらっしゃるのではないでしょうか。
今回ご紹介した事件のように、いつ誰かの一方的な憎しみや攻撃の対象になるかわからないので気を付けてください。
【未解決事件】ファンタジー号消失事件
平成の時代を騒がせたファンタジー号事件を覚えていますか?
ファンタジー号に夢を馳せ、現実から目を背け走り続けた、否飛び続けた男、鈴木嘉和さん。彼があの日、アメリカに向けて飛び立ち行方不明となってから29年が経ちました。今日は、鈴木嘉和さん失踪・ふうせんおじさんについてお話します。
鈴木嘉和失踪当時52歳は職業ピアノ調律師にして経営者、そして自称冒険家。1984年には音楽教材販売会社ミュージック・アンサンブルを起業するも、1990年には多額の負債を抱え倒産。このほかにも麻雀壮やパブレストランを経営していましたが、どれもうまくいかず、ビニール風船二十六個をつけたゴンドラ飛行船ファンタジー号による太平洋横断で借金返済を夢みることとなります。
ヘリウム風船不時着事件
ファンタジー号で太平洋横断を行う前の、1992年4月17日に事件は起こります。
東京都府中市の多摩川沖で警察官や報道陣が見守る中、風船で飛び立ち24キロ離れた東京都大田区の民家の屋根に不時着し瓦をぶっ壊す事件を起こしました。本人に怪我はなく、その後警察署には向かったものの民家への修理や補償は一切行わなかったとのことです。
この事件が鈴木さんの確信に変わり、次にお話しするファンタジー号事件が起こります。
ファンタジー号事件
1992年11月23日ヘリウム入りの風船を多数つけたゴンドラ「ファンタジー号」の試験飛行が琵琶湖にて、行われました。国土交通省に対する飛行許可の認可は降りず、あくまで上昇実験という名目で行われたのですが、家族にマスコミが押し寄せることを予想し家族のためにホテルを予約していたことから、最初から実行するつもりであったことが伺えます。
120メートル上昇し一旦降りてきたのですが、16時20分。再び「行ってきます」といいファンタジー号は飛び立ちました。アメリカネバダ州サンドマウンテンを目指して。
翌日24日の深夜、SOS信号が発信され、25日8時30分、海上保安庁の捜索機ファルコン900が宮城県沖東約800Km海上で飛行中のファンタジー号を確認。
しかし捜索機に向かい手を振り、SOS信号をやめました。このときファンタジー号は高度2500メートルから4000メートルに達していました。
捜索機は約3時間ファンタジー号を見守るも、遭難信号が消えたことや手を振っていたことから飛行意思があると判断し、追跡を打ち切っています。
その後、彼の姿をみた人は、誰もいません。
その真相とは?
その当時、多額の負債を抱えていた鈴木さん。
このファンタジー号で一攫千金をすることが本当の目的だったのでしょうか?
夢を追うという名の、自殺なのではないかという声も見受けられます。多額の保険金をかけていたという話もしていたようです。
その真偽はわかりませんがこのふうせんおじさんという名前でメディアが報じ、結果このような失踪事件が起きたのだとしたら、視聴率のために注目を集めるために報じるメディアのあり方にも疑問視せざる負えません。
平成の時代に夢を追い続けた男について語ってきましたが、こういったある種の問題行動がメディアに報じらエスカレートしていく事例は令和の現在にも多く見受けられるような気がします。
しかしながら、夢を追い、一発逆転を目指すその気持ちを否定する権利が私たちにあるのでしょうか。
【未解決事件】香川女子高生殺人事件ーコンビニと野犬の謎
音楽好きな女子高生が失踪した日その日はコンビニバイトの最終日でした。今日は香川県仲多度郡(なかたどぐん)まんのう町で起きた未解決事件をご紹介します。
事件が起きたのは1997年3月15日。真鍋和加さん当時16歳がコンビニでのアルバイトを終え帰宅する午後10時過ぎ、コンビニ向かい側の歩道に小雨が降る中立っていたと、同じ時間に退勤したコンビニの目撃証言があります。
普段は自転車で通っていたのですがこの日は雨が降っていたこともあり、行きは姉が送ってくれたようですが帰りは姉が迎えに来るということはありませんでした。
その頃、家では父親と姉はすでに寝ていて母親は家で確定申告の書類を作成している際に眠ってしまったようです。
翌日3月16日、午前5時、目が覚めた母親が玄関にわかさんの靴がないことに気づき2階の部屋を確認。そこに和加さんの姿はなくバイト先に確認の電話をすると午後10時に退勤していると告げられています。
午前10時に和加さんの友人から電話がありました。わかさんが待ち合わせの時間になっても現れないため心配して電話をかけてきたようです。この時、事件に巻き込まれたのではと捜索願を警察に提出しています。
そして、3月17日。わかさんの家から約30キロ離れた山林にて、マネキンが不法投棄されていたことを現地住民が琴平警察署に通報。到着後これがマネキンではなく人であることがわかり、死体遺棄事件として捜査開始。
翌日18日、地元新聞の朝刊に死体遺棄事件の記事が朝刊に掲載。父親が「娘ではないか?」と考え琴平警察署に行き、指紋照合でこの遺体が和加さんだと判明しました。
さらに21日、高瀬町朝日山森林公園内に黒い靴が落ちていることを捜査員が発見。和加さんの家から約8キロほど離れた場所でした。
この、死体遺棄をされた山林に、遺族の方々は着目しました。
「この地域は野犬が多い」
そう、犯人はこの遺棄した死体を、野犬に食べさせて処理を済ませようと考えた可能性があるのです。これは地元に詳しい人しか知らないことなので、この地域に住んでいる人物が犯人なのではないかという見方は強まり、これまで延べ5万6千人の捜査員を投入し交友関係など3万3千人に聞き込みを実施するも犯人の逮捕に至れていません。
考察
この事件がバイト最終日に起きた事件であることに着目するとこれが偶然なのか・それともバイト先に関係のある人物なのか。
そもそも和加さんがバイト先に勤務したのは3ヶ月ほどで、音楽系の学科のある大学を志望していてキーボードの購入費用を貯めるためにこのコンビニで働いていました。
これを踏まえると勤務先の同僚もしくは客の誰かが恋愛感情を抱き、その気持ちに応えられず殺害されたのではないだろうか?
さらに、母親の証言によると無言外泊などもこれまでしたことがなく、当日もラフな服装だったこと、公衆電話で電話をかけるための小銭を少ししか持っていっていないことを考えると、どこかにでかけたとも考えられないのです。
この日、仕事中にポケベルが鳴っていたという証言もあったようで、何者かが家まで送ると連絡し快く承諾、その際朝日山森林公園で告白。その際振られ、殺害したのではないか?という可能性が高いように思います。この日、母親は起きていて確定申告書類を書いていたのだから、電話をしたら誰かが迎えに来たと思いますが、和加さんが電話をした様子はありません。
犯人は和加さんの知っている人物で家まで送るといいつつ、車に乗ってからバイト最終日だし公園まで少しドライブしようといいこのような事件に巻き込まれたのではないでしょうか。
ネット上ではバイト先の店長が好意を寄せていて、その店長が犯人だったという書き込みも見受けられます。そしてその店長は自殺して既に亡くなっているとのことです。しかし、こういった情報の真偽は不明です。このような噂が事件を風化させてしまうことにも繋がりかねません。
もしも、それこそが、真犯人の目的だとしたら・・・
【未解決事件】名古屋市西区主婦殺人事件ー残された乳酸菌の謎
事件現場に残されたのは飲みかけの乳酸菌飲料だった。白昼の名古屋市住宅街で起きた未だ犯人の逮捕に至っていない殺人事件を紹介します。
亡くなったのは当時32歳の主婦高羽(たかば)奈美子さん。事件は1999年11月13日、名古屋市西区のアパートで起きました。
美奈子さんがテレビをつけ、掃除機をかけ掃除をしている最中に何者かが侵入、首を刃物で刺して殺害。このとき、当時2歳だった被害者の長男も事件現場にいたようです。この長男に怪我はなく、被害者宅は物色された形跡もなく、強盗目的ではないことが読み取れます。このアパートの大家さんが第一発見者です。その日の午後2時ごろ、採れた柿を持っていった際に倒れている奈美子さんを発見しています。
犯人の特徴
この犯人は奈美子さんを殺害するにあたり自分自身も怪我をしていて、血痕が現場に残っていて血液型はB型であることがわかっています。また、逃走の際の目撃者は2名存在しており、当時40歳から50歳の女性だと言われています。
警察犬がその血液を追い捜査を行なったようですが、自宅から500メートル先でその血液は完全に消えています。この逃走ルートにどのような意味があるのでしょうか。
また、現場には高羽家で普段飲むことのない乳酸菌飲料が、飲みかけの状態で残されていました。この乳酸菌飲料、犯人はどのような意図で現場に置いて去ったのでしょうか?
仮説
この日犯人が高羽家に訪れた際にどのように侵入したのか、鍵が空いていたのか。
この犯人、訪問販売員を装って高羽家に侵入したのではないでしょうか?
乳酸菌飲料の訪問販売員を装って接触、その後殺害に至ったと考えることが自然かと思われます。しかし、どうしてそのような手段を用いてまで殺されねばならなかったのかという疑問は生じます。誰かの一方的な恨みがこのような事件を引き起こしたのでしょうか。
この乳酸菌飲料販売・配達区域も35km離れた地域で販売されているものでした。これは捜査を撹乱するため意図的に置いてきたと捉えることが妥当のように思います。
500m先で急に途絶えたその痕跡からも、共犯者がそこで待機して車で逃走し足取りを追跡することができなかったのではないか?そのように考えることもできるでしょう。
おわりに
遺族の高羽悟さんは、現在もこの事件が起きたアパートに住み続け、毎年事件が起きた11月13日には犯人の特徴などを書かれたビラ配りを行い情報提供を呼びかけています。事件とメディアの関係性、非常に複雑なケースが多い中、悟さんはメディアの取材に積極的に応じ当時のことを振り返り、解決のために殺人事件被害者遺族の「宙(そら)の会」代表幹事をされています。
もしも、22年前のあの日目撃した覚えがある方、あるいは奈美子さんと関わりがあった方で何か事件に関与しているかもしれない情報を持っている方は愛知県警西署にご一報ください。
参考記事
【未解決事件】世田谷新町OL殺人事件の考察
未だ解決に至らず様々な憶測が飛び交う未解決事件。
今日は世田谷新町2丁目で起きた未解決事件を紹介します。
この事件が起きたのは1999年、7月12日。世田谷区内にある工事現場で当時25歳のOL女性が何者かに首を絞められ、両手首を刃物で切られ殺害された事件。
この女性は広告代理店勤務、週末はディスコに顔を出し事件当日も女性の友人と食事をし、ディスコに行き、その帰路襲われています。
午後8時過ぎに友人と渋谷のレストランで食事をし、午後9時にプリクラを撮り、午後9時半池尻大橋のバーで談笑。0時過ぎにバーの近くのコンビニで「また連絡するね」と言い別れたといっています。この後
池尻大橋0:17発桜新町0:24着の電車か、池尻大橋0:27発桜新町0:34着の終電のどちらかに乗っています。駅から女性の家までは徒歩10分の近さでありながら、なぜこのような事件に巻き込まれてしまったのでしょう。
この事件における不可解な点
この事件には不可解な点が3つ存在します。消えたサンダルとショルダーバッグの行方、彼女の帰宅経路として普段通らない工事現場付近で起きた事件であること、そして、亡くなった彼女の遺体にはビニールシートが被されていました。
この3つの謎を紐解いていくことで、この犯人の人物像やその日何が起こっていたのかがみえてくるのではないでしょうか。
ショルダーバッグが無くなっているのは強盗目的と捉えることで妥当ですが、サンダルが無くなっていることだけは不可解です。
もしも、被害者が桜新町駅で降りた直後犯人にストーキングされ走って逃げたためサンダルを脱いで走ったとしても、翌日の捜査でみつかるのではないでしょうか?犯人がサンダルを証拠隠滅のために回収したのであればそもそもすぐに見つけることができる工事現場に死体を遺棄することはないのです。それらを踏まえると、1つの仮説を立てることができます。
仮説 犯人は車の中で犯行に及んでいる
この事件の犯人、駅の周辺で車に乗ってターゲットを物色。車で被害者に近づき、被害者を襲い車の中へ。サンダルが無くなっているのは、犯人がこの被害者を車に乗せ、車内で殺害しているからで、車の中にサンダルが転がっていたからなのではないか、そう考えることで、工事現場に遺体があったことも、工事現場という人の目に留まらない場所を利用し死体を遺棄したと考えることができます。ビニールシートを被せてあったのも、車内で殺害しその死体に被せて車を運転し死体と共にビニールシートごと捨てたのではないでしょうか
この事件が起こる前にも、近辺で女子高校生が首を絞められる事件が起きていて、その犯人も同一犯である見方が強いですが、現在もこの犯人の特定・逮捕に至っていません。
夜の街の華やかさとは一変、帰路の夜道は暗く寂しいものです。夜道は人通りの多い道を、そしてもし何か身に危険を感じた際はスマートフォンの防犯アプリなどを使って防犯ブザーを鳴らしましょう。
【未解決事件】世田谷一家殺害事件ー21年目の新事実
未解決事件、監視社会が進む今でも犯人の特定に至れていない事件は世の中に無数に存在します。今日は、そんな未解決事件世田谷一家殺害事件に大きな動きがあったので、お話したいと思います。2000年12月30日深夜東京都世田谷区で起きた一家4人が亡くなった殺人事件ですが多くの不可解な点とともに、未だ解決に至っていません。
現場にはたくさんの手掛かりが残されていた。
犯人の自分自身の血液や、犯行に利用した包丁、日本では珍しいスニーカーの足跡、衣類など多くの証拠を現場に残しています。
そして、この犯人現金20万円を奪うも、置いてあった6万円や通帳などには手をつけていなかった点などを踏まえても、単なる強盗殺人とは思えません。
そして、殺害を終えたあとも長時間現場に滞在し麦茶を飲み、アイスクリームを食べています。
ここまで余裕をみせる犯人は、殺害に対し慣れている様子もどこか感じます。
それも、凶器として用いた包丁を包んでいたハンカチの使い方が独特で、中国やフィリピンにおいて用いれらる使い方であることが警察への多数の情報提供から発覚しました。
さらに、スニーカーは韓国のブランドの珍しいサイズのもので、流通経路もかなり狭いものでした。
それでも、5000万件以上の指紋を照合してもなお、浮上することのないその犯人。
そんな捜査の難航するこの事件にも21年目にして大きな動きがありました。
21年目の急展開
どうやら警察は、現在40歳のHという存在を実名で捜査しているとのことです。
当時焼肉屋のアルバイトとして厨房で働いていたHについて店の常連客から警察に連絡があり捜査を進めているようです。常連客が、このHが手に包帯を巻いた状態で歩いている姿を目撃したようです。
この焼肉店のオーナーAも事件前後に空き巣に入られてたことがありこの犯人も同一人物であることが浮上しました。しかし、店はこの事件後閉店しておりHの写真や履歴書などは残っていないとのこと。
このHの同僚Bにも警察は聞き込みを進めており、当時Hは大学生でスポーツをしていたとのことです。
このHさえ突き止めることができたら、この事件に終止符を打つコトができるでしょうか。
事件から21年目にして、大きな動きをみせたこの事件。この事件をきっかけに殺人事件における時効は法改正により撤廃しています。
私たちの社会はあれから多くの場所に防犯カメラが設置され監視・管理が進んでいます。
この事件の解決はそう遠くないのかもしれません。