【未解決事件】ファンタジー号消失事件
平成の時代を騒がせたファンタジー号事件を覚えていますか?
ファンタジー号に夢を馳せ、現実から目を背け走り続けた、否飛び続けた男、鈴木嘉和さん。彼があの日、アメリカに向けて飛び立ち行方不明となってから29年が経ちました。今日は、鈴木嘉和さん失踪・ふうせんおじさんについてお話します。
鈴木嘉和失踪当時52歳は職業ピアノ調律師にして経営者、そして自称冒険家。1984年には音楽教材販売会社ミュージック・アンサンブルを起業するも、1990年には多額の負債を抱え倒産。このほかにも麻雀壮やパブレストランを経営していましたが、どれもうまくいかず、ビニール風船二十六個をつけたゴンドラ飛行船ファンタジー号による太平洋横断で借金返済を夢みることとなります。
ヘリウム風船不時着事件
ファンタジー号で太平洋横断を行う前の、1992年4月17日に事件は起こります。
東京都府中市の多摩川沖で警察官や報道陣が見守る中、風船で飛び立ち24キロ離れた東京都大田区の民家の屋根に不時着し瓦をぶっ壊す事件を起こしました。本人に怪我はなく、その後警察署には向かったものの民家への修理や補償は一切行わなかったとのことです。
この事件が鈴木さんの確信に変わり、次にお話しするファンタジー号事件が起こります。
ファンタジー号事件
1992年11月23日ヘリウム入りの風船を多数つけたゴンドラ「ファンタジー号」の試験飛行が琵琶湖にて、行われました。国土交通省に対する飛行許可の認可は降りず、あくまで上昇実験という名目で行われたのですが、家族にマスコミが押し寄せることを予想し家族のためにホテルを予約していたことから、最初から実行するつもりであったことが伺えます。
120メートル上昇し一旦降りてきたのですが、16時20分。再び「行ってきます」といいファンタジー号は飛び立ちました。アメリカネバダ州サンドマウンテンを目指して。
翌日24日の深夜、SOS信号が発信され、25日8時30分、海上保安庁の捜索機ファルコン900が宮城県沖東約800Km海上で飛行中のファンタジー号を確認。
しかし捜索機に向かい手を振り、SOS信号をやめました。このときファンタジー号は高度2500メートルから4000メートルに達していました。
捜索機は約3時間ファンタジー号を見守るも、遭難信号が消えたことや手を振っていたことから飛行意思があると判断し、追跡を打ち切っています。
その後、彼の姿をみた人は、誰もいません。
その真相とは?
その当時、多額の負債を抱えていた鈴木さん。
このファンタジー号で一攫千金をすることが本当の目的だったのでしょうか?
夢を追うという名の、自殺なのではないかという声も見受けられます。多額の保険金をかけていたという話もしていたようです。
その真偽はわかりませんがこのふうせんおじさんという名前でメディアが報じ、結果このような失踪事件が起きたのだとしたら、視聴率のために注目を集めるために報じるメディアのあり方にも疑問視せざる負えません。
平成の時代に夢を追い続けた男について語ってきましたが、こういったある種の問題行動がメディアに報じらエスカレートしていく事例は令和の現在にも多く見受けられるような気がします。
しかしながら、夢を追い、一発逆転を目指すその気持ちを否定する権利が私たちにあるのでしょうか。